知恩院大方丈の東側一面を用いて、上中下段の間が設けられているが、この三室は徳川将軍家が逗留の際に、仏事以外の将軍職による公式業務が執り行うために使用されたと云われている。
間取りは君子南面の伝統に従い、北側に将軍の間(御成の間)、その南に一段ずつ高さを変え中下段の間が設けられている。
その内、下段に五人、中段に三人の仙人が描かれているのだが上段の間には仙人ではなく李白観瀑・猿曳・三高士囲棋といった図が用いられている。
知恩院方丈の建設は二条城御殿の完成直後から始まっており、障壁画も狩野の一族に託すなど両者に共通する点が多く見られる。
また京都には智積院・金地院といった家康縁故の寺院にも上・下段の間が設けられている。
将軍職として他の者の座より一段も二段も高い所に位置する上段の間は君子南面の体裁を取り、背景に描かれる障壁画もその権威を強調する意味において重要な役割を果たす存在である。
虎や獅子といった猛獣の類を描くことでその武力を示したものも見られるが、多くの場合は松を描くことが多い。それは日本文化に於いて松という樹木が神の存在を意味するからであろう。
徳川三代に関わる上段の間に関しても、江戸城・二条城・智積院・金地院の何れもが上段の間の障壁に松を用いているのである。
知恩院でも、将軍個人の居住として用いられたとされる小方丈にある上段の間は雪の積もった松の風景が描かれている。
その一方で最も将軍職としての威厳を誇示すべきであろう大方丈上段の間に描かれているのは、むしろ威厳とは対局ともいうべき長閑な日常の風景なのである。
敢えて長閑な雰囲気を醸し出そうとするならば、小方丈上段下段の間が共に山水風景を用いた様に大方丈の中段・下段の間も日常の光景を描けば良かったはずなのに、そこに描かれているのは修行によって不思議な力を手に入れた道教の仙人達なのである。
この障壁画群の配置は何を意味するのだろうか?
一つの手がかりとして、この上段の間が快慶作の阿弥陀仏を祀る仏事の空間である鶴の間に並列していることを掲げたい。さらに言うならば廊下を通じてさらに西側には宗祖法然上人が同じ向きに並んでおられるのである。
つまり将軍は君子同様南面しながら、それでいて依信転方という仏教の法則に従って西から東を向いているのである。
言い換えるならば、将軍が座する上段の間は西方極楽浄土を示しているのである。
浄土宗の教理は、聖道門と呼ばれる厳しい修行の結果として得られるものではなく、愚かな我が身であると自覚した凡夫である我々が阿弥陀如来の救済によって西方極楽浄土に往生するという浄土門の教えなのである。
中段・下段の間にいる仙人達は厳しい修行の結果、不老不死等の神力を得た。
しかし陶弘景という道師から不老長寿の秘法を説いた『仙経』を手に入れた曇鸞大師に、菩提流支三蔵が『無量寿経』こそが本当の不死である往生が説かれていると諭した如く、仙人達が手に入れた仙力は所詮、迷いの世界、穢土での威力であって本当の幸せ、迷いを離れた浄土に往生するには平凡なる日常の生活にあって信仰の中に口称念仏を称えることが大切なのだということを示しているのではないだろうか。
まさに欣求浄土厭離穢土を旗印とした徳川家康の意志が籠められているのではないかと思うのである。
そう思って見ると、李白が眺めている瀑は煩悩の赴くままに流されてしまう自身を内省することを意味しているのではないかとも思えて来る。
# by joudo1133 | 2014-09-12 00:17 | 一服

